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どっこい 国産品 人間節 初売り 寿 DVD 自由労働者の街

どっこい! 人間節 寿・自由労働者の街 [DVD]

2303円

どっこい! 人間節 寿・自由労働者の街 [DVD]

商品の説明

内容紹介

驚天動地! 日本映画史に残る奇跡! 小川プロダクション全作品DVD化プロジェクト第三弾!

三里塚を離れ、他の土地での映画撮影を模索する小川プロが次に選んだ場所は、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ日本三大寄せ場・ドヤ街の横浜・寿町だった--この地で小川プロの若いスタッフたち(平均年齢27歳)が1年間近く泊まり込み、徹底して聞き撮りした入魂の一作。
貧困、差別、偏見、孤独、病、絶望、怒り、悲しみ、そして「野垂れ死に」がごく当たり前に存在する“どん詰まりの行き詰まり"の状況の中で労働者たちは語る、自分史を、そしてわずかな希望を--
リストラ、派遣切り、非正規雇用労働者増等々・・・労働者環境がどんどん悪化していく現在の日本の状況と40年以上も昔のこの映画で捉えられた状況と何も変わっていない事実、延々と通底しているテーマに愕然とし、重い鉛を飲み込んだかのような沈痛な思いをさせられる労働者の生と死のドキュメント。
前科者、片足を失った者、筋ジストロフィー患者、酒を離せない者、仕事にあぶれた者、在日韓国人、マグロ(強盗)に遭った者、いつの間にか死んだ者、まもなく死ぬ者、“どっこい"は“どっこい生きていた"の“どっこい"だ!

製作年度:1975年、日本、本編121分


◎スイス・ニヨン国際映画祭銀賞受賞
◎「なぜこの町に?追い詰められてきたんだわ。でもな、みんな目いっぱいに行きたいんだわ」
◎「寿は労働者にとって一番住みよいところであり、また一番嫌っているところでもあるかもしれない」
◎特殊漫画家・根本敬先生が提唱するところの「イイ顔」が好きな人にも堪らない一本。
◎この映画にはいくつかの“自分史"が語られるわけだけど、あそこにいる人には濃縮された人生がある、それをわれわれは知りたかった。それはその人しか持っていない“自分史"だ、他の誰にも受け渡すことができないもんじゃないか、その中にこそ最大のドラマがある、それをかなり意図的に撮ったわけだ。(公開当時の小川紳介の言葉)
◎私たちは、今度の作品を『人間史序説』と名づけた。なぜなら、私たちは、今を“人間史"にとって“序史"の時代なのだ、と信ずるからだ。「差別が人と人との間に存在する限り人間の真の歴史は始まらない」私たちは、寿の町で十か月をへたいま、はっきりとそう言い切ることが出来る。(公開当時のスタッフの言葉)
◎五月に撮影を開始したこの作品のラッシュ(未編集フィルム)に、私たちは“人間"が、ほとんど崇高なまでの輝きを伴って立ち現われるのを幾度かみた。多くが貧困や病苦や孤独の極みの姿なのだが、その人々は生命ぎりぎりに奪い尽され、追い詰められてもなお、人は人以外の何ものでもなく人として生きる、とフィルムの上に刻み出しているのだった。(公開当時のスタッフの言葉)

【スタッフ】
構成:小川紳介/編集:小川紳介、田處苗樹、湯本希生/撮影:奥村祐治(J・S・C)/録音:久保田幸雄
製作:伏屋博雄、白石洋子、朝日節子、飯塚俊男、福田克彦、林鉄次


ジャケット裏に映画評論家・上野昂志氏による解説文掲載

内容(「キネマ旬報社」データベースより)

日本三大寄せ場の横浜・寿町に小川プロスタッフが約1年間泊まり込んで製作したドキュメンタリー。野垂れ死にが当たり前に存在する町に住む労働者たちが、自分史とわずかな希望を語る。

どっこい! 人間節 寿・自由労働者の街 [DVD]

どや街がどうとかより、酒の害で体を壊す人が見ていてつらく(中には撮影中に死んでしまう人も)なかばトラウマ。「もう酒やめてー!」と叫びたくなる映画だった。あと言い争いの場面も哀しく、ひたすら哀しくつらい映画であった。
「どっこい!人間節」は小川プロダクション全作品の中でも異色のドキュメンタリー映画である。今作品が撮影されていたのは70年代半ばを迎えようとしていた時代、当時、小川プロは成田空港反対闘争が続けられていた三里塚に腰を据えていた頃だ。東京の山谷、大阪の釜が崎と並ぶ横浜のどや街寿町。何らかの理由で家族を捨て、故郷を捨て、社会の様々なしがらみやつながりも捨てて、世捨て人の如く流れ流れて人生の吹き溜まり・スラムに住み着いた人たち。人間として弱く、否応なく堕ちていった人もいる。今作品は、いわば社会の最下層で蠢く彼らの日常に1年以上寄り添い続けた事で生まれた。数年前、ハマのメリーさんこと娼婦ヨコハマ・メリーの優れたドキュメンタリーと出会った時、やはり寿町に生きる日雇い労働者たちにフォーカスを絞った今作の事が思い出された。学生時代、横浜で2年間過ごした事もあって、だからこれらの作品には思い入れがある。子供の頃、炎天下の中で工事現場で土方作業をしている人たちを遠回しに見ながら、勉強しないとあんな風になっちゃうよ、などと周りの大人たちに言われた事があったが、まさに世間からはそんな差別的な眼差しで見られていた彼ら。作品紹介にもあるように、ここには前科者がいる、アル中も重度障害者も在日韓国人も生活破綻者もいる。彼ら一人一人には、それぞれに生きてきた"自分史"がある。それは、市井の人々の"それ"よりも恐らくは激しく厳しいものであったと推測される。辛く、切なく、侘しい中にも、それでも、彼らの心に秘められているのは、"それでも、どっこい!オレは生きている"との思いだ、と映画では語られる。そこに、人間として生きていく事の力を感じる。いや、実際、映画をご覧になれば気付かれる方もいると思うが、ここに登場する人たちは、みな、"みじめでも、悲惨でも、怠け者でも、落伍者"でもない。むしろ、世間の人々以上に豊かな人生経験を経てきた者の気概すら感じる部分もあるのだ。それだけに、ついさっきまで元気に自分史を語っていた人が次の瞬間位牌として登場する事の衝撃。壮絶な生きざまを送ってきたであろう人生の最期のあまりの淋しさ、今でも記憶に残るシーンだ。映画が公開された75年当時は、70年安保闘争に敗れ、革命の幻想も虚しく潰えた新左翼の若者たちの一部が、社会の底辺の人たちと連帯・共生するみたいな動きがあったと思う。今日では、そんな事を考える人間は殆どいないだろうが、しかしながら、そんな運動やイデオロギー的な事は抜きにして、格差、非正規雇用労働者拡大による貧困が進んでいると思える中、DVD化を契機により多くの人々の目に触れ、今作品が再評価される土壌は十分にある。先行するレビュアーのみでじゃ氏の提言に耳を傾けつつも、私はまず今作品を購入したいと思う。
高度経済成長から一点、オイルショックを迎えた横浜の寿町が舞台。おそらく、ほとんどの人たちが戦争経験者で必死に動乱の時代を生きてきた矢先に起こった突然の不況や資本主義・社会主義で揺れ動くなど、不安定な世情を必死で生きる人間が描かれている。このドキュメンタリーは小川氏を通した目線と解釈を交えながら進んでいく。印象として残っているのは出演者とスタッフたちの距離感である。三里塚でも被写体の『ど真ん中に入る』という姿勢をとったスタッフたちが実際に暮らしながら交流の一環として明日をも知れぬ人たちの人生を記録していく。ある日、突然、酒を辞めたいから助けてくれと言って転がり込んできたアル中の男性に一晩しっかり付き合い、翌日病院に連れて行ったり、難病を抱える男性が自分たちの部屋を出て帰る途中に呼吸困難になった時も友として寄り添い、勇気づけ、救急車を呼び、病院までつきそう。その間もカメラは廻り続ける。ドキュメンタリー作家のコミュニケーションはカメラをまわすことであり、どんな状況であり被写体に敬意を払いながらも(だからこそ)回し続ける必要がある。※この点においては理解できない人もいるかもしれないが金が無いと言いながら酒もタバコも呑んでいる人がたくさん出てくる。つまり、この頃は金が無い時には誰かにもらいタバコをし、ツケで酒を呑めていた。皆がそんな与太郎たちを受領する社会であり、それがこのドヤ街『寿町』なのである。そうした彼らの態度に一貫して感じるのは『人としての暖かさ』だ。それは小川プロの人たち、そして映画に映る全ての人が『暖かく』『真剣』で『不器用』ながらも『衝突を恐れず』人と関わり合いながら生きている。その姿はどこか愛らしさを感じてしまう。希薄になった人間関係のあるべき姿を感じられる今だからこそ見る価値のある映画。

2021.01.01

明けましておめでとうございます♪

皆さま、明けましておめでとうございます♪

今年も「歳旦三つ物」を詠みました。


歳旦三つ物

丑紅をくつきり引くや初鏡
小松菜およぐ東京雑煮
揚ひばり空に平和を描くらん

きっこ


俳句では本来、自分の句を自分で解説することは野暮なのでNGなのですが、俳句を勉強していないと意味の分からない言葉や言い回しもありますので、今年も簡単に説明させていただきます。

まず、最初の五七五の発句の「丑紅(うしべに)」は、寒中の丑の日に売り出される口紅のことです。江戸時代、寒中は水に不純物が少ないため、この時期に作られた口紅は「寒紅(かんべに)」と呼ばれ、唇や口中の荒れを防ぐ薬効もあるとして重宝されました。中でも丑の日に売り出される「寒中丑紅」は、買った人には小さな牛の置物がプレゼントされていました。この牛の置物は、手で撫でると「健康で美しくなる」、赤い座布団にのせて神棚に飾ると「その一年、着物に不自由しない」という御利益があったため、江戸の女性たちは、こぞって丑紅を買いに走ったのです。

あたしは、この江戸の風習にならって、今でも寒中には丑の日に口紅を買うことにしています。現代の街のコスメショップで口紅を買っても牛の置物は貰えませんが、気分だけでもずいぶんと違うのです。この「丑紅」は冬の季語ですが、年が明けて初めてドレッサーを使う「初鏡(はつかがみ)」という新年の季語と重ねることで、こちらが主季語となり、お元日の句となるのです。


二番目の七七の「脇」の句は、東京の「お雑煮」を詠みました。お正月のお雑煮は「東は角餅、西は丸餅」「東は醤油仕立て、西は白味噌仕立て」などと言われていますが、例外も数多くありますし、それぞれの地方によって特色があります。お正月の食べ物ということで、たいていはいろいろな具材が入った見た目にも豪華なお椀ですが、東京だけは違います。あたしが子どもの頃から食べて来た東京の伝統的なお雑煮は、具材が小松菜だけなのです。

鰹出汁の醤油仕立てで、具材は食べやすい大きさにカットした小松菜が浮かんでいるだけ。そこに焼いた角餅をジュッと入れたら完成です。場合によっては、彩りとして銀杏(いちょう)に切った人参を加えたり、香りとして柚子の皮を浮かべたりしますが、基本は小松菜だけのシンプルなもので、全国各地のゴージャスなお雑煮とは一線を画しています。

江戸には、幕府による「贅沢禁止令」の影響もあり、着物の裏地など「見えないところに金を掛けるのが粋」という風俗があり、それが裏返って「見えるところに金を掛けるのは野暮」という風潮が生まれました。このシンプル過ぎるお雑煮も、そんな江戸の風俗から生まれたのだと思います。あたしの父さんは五代東京、母さんんは三代東京なので、父さんも母さんも子どもの頃から小松菜だけのお雑煮を食べて来ました。そして、子どものあたしも同じものを食べて来たのです。


最後の五七五の「第三」は、発句と脇から大きく飛躍した春の句です。発句と脇が「新年のおめでたい景」を詠むのに対して、第三は「春の希望」を詠む決まりです。昨年は「新型コロナ一色」の一年でしたし、政府の後手後手の対応によって、収束どころか感染が拡大し続ける中で新年を迎えることになってしまいました。アメリカの研究機関は、昨年夏の時点で「完全に収束するまでに少なくとも二、三年」との予測を発表していますので、あたしは、今年は昨年以上に厳しい一年になると覚悟しています。

しかし、年頭の「歳旦三つ物」くらいは「希望」を詠みたいので、春の野から高く飛び立ち、空から歌声を聞かせてくれる雲雀(ひばり)を意味する「揚雲雀(あげひばり)」という季語を用いました。そして「ひばり」を仮名にして、その後に「空」という漢字を続けることで、美空ひばりさんがイメージされるように詠みました。

あたしのおばあちゃんは、夫を戦争に取られ、生まれたばかりの母さんを抱いて東京大空襲の中を逃げ回りました。当時、八歳だった美空ひばりさんは、お父さまを戦争に取られ、残されたお母さまがひばりさんと幼い兄弟四人を連れて、横浜大空襲の中を逃げ回ったといいます。そんなひばりさんは、昭和四十九年(1974年)八月九日に開催された「第一回広島平和音楽祭」で、平和を願う名曲『一本の鉛筆』を初披露しました。


一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば 戦争はいやと書く 
一枚のザラ紙があれば 子どもがほしいと書く 
一枚のザラ紙があれば あなたを返してと私は書く 
一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く 
一本の鉛筆があれば 人間の命と書く


この日、早くから会場入りしていたひばりさんは、冷房のない広島体育館の用具置き場のような狭い場所でスタンバイしていました。あまりの暑さに広島テレビのディレクターが気を使って「ここは暑いですから冷房がある別棟でお待ちください」と声を掛けると、ひばりさんは遠くを見るような目で「あの時、広島の人たちは、もっと熱かったのでしょうね‥‥」とつぶやいたそうです。

松山善三作詞、佐藤勝作曲の『一本の鉛筆』は、会場の広島体育館に詰めかけた多くの人々の涙を誘ったと言います。そして、二カ月後にリリースされたシングルレコードのB面には、同じ作詞家、作曲家による『8月5日の夜だった』が収められました。こちらの歌は、原爆投下前夜の八月五日に、翌朝すべてが焼かれてしまうことなど知らずに、広島の橋のたもとで愛する彼氏との幸せな将来を夢見ている若い女性を描いています。


さて、「戦争」と「パンデミック」は違いますが、今回の新型コロナの国別、地域別の対策と状況を比較してみると、こと対策においては「パンデミック」にも「戦争」と同じく人災の一面があることが分かります。あたしが最も危惧しているのが、昨年10月からの「自殺者の急増」です。日本の自殺者は、昨年10月には前年同月比で40%増、若い女性だけを見ると80%以上も増加してしまいました。この多くは、新型コロナによって仕事を失い、生活が困窮し、誰にも相談できずに自死の道を選んでしまった人たちと見られており、新聞各紙も「コロナ自殺」と報じました。

新型コロナの感染の抑制や重症者の治療などは、有効なワクチンの普及や特効薬の開発を待つしかありません。一方、増加し続ける「コロナ自殺」などの間接的な犠牲者については、政治の力で救うことができます。政府が正しい支援を行うことで、確実に命を救うことができるのです。しかし、残念ながら、今も有効な支援策は講じられていません。この一年、政府が次々と講じて来た数々の対策は、どれも国民目線とは大きく乖離したものばかりで、唯一、生活困窮者の役に立ったのは、野党が強く要求した特別給付金の十万円だけでした。

政府は新型コロナ対策に莫大な予算を割いているのに、支援が必要な国民のもとにはほとんど届いていない現状。何故、このようなことになってしまったのでしょうか? それは、政権与党の議員たちに国民目線が欠落しているからです。他人の痛みを自分の痛みとして感じる思いやりの心が欠如しているからです。今の政府には、美空ひばりさんが真夏の体育館の用具置き場で言った「あの時、広島の人たちは、もっと熱かったのでしょうね‥‥」という言葉、この気持ちが決定的に足りないのです。

こうした現状を踏まえて詠んだのが、最後の五七五の「第三」の句です。春の野から空高く飛び立った揚雲雀の歌声を聞き、この国の為政者ひとりひとりが政治を志した初心に立ち返ってくれることを望みます。そして「富裕層から多く取り貧困層を手厚く支援する」という本来の「正しい税金の再分配」を行なってくれることを望みます。何故なら、まだまだ続くであろう新型コロナ禍においては、それこそが政治にできる最大の人命救済だからです。


‥‥そんなわけで、あたしは、今年も今まで通りに、社会的弱者、社会的マイノリティーの立場と視点を大切にして、あたしなりに「ハチドリの一雫」を垂らし続けて行く所存です。今は『きっこのブログ』は開店休業中で、『きっこのメルマガ』での発信しか行なっていませんが、皆さん、今年も一年、よろしくお願いいたします♪


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